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〜店長の気まぐれコラム〜

雑感
-ZAKKAN-

つたない拙文ですが、おりおりに感じたことをコラムとして不定期に掲載していきます。よろしく、おつきあい下さい。

第16回看板に詐り(いつわり)あり!

第15回バレンタインデー雑感

第14回「朱・白」についての私見

第13回桂枝雀さんのこと

第12回2004/4/1

第11回人形は顔が命

第9回小泉景氏の話

第8回「京もの」考

第7回「はん」は何処へいった

第6回「2ちゃんねる」で見たもの

第5回「さび」考

第4回こだわりを捨て信念をもって

第3回あわれ!漢字の国、中国

第2回ムネオとスタンプ

第1回「千と千尋の神隠し」雑感


看板に詐り(いつわり)あり!

たいへんお久しぶりです。店長です。まずはご無沙汰の非礼をお許し下さい。こちら、なんとか生きております。皆様はいかがおすごしですか?

最近、教壇に立つ友人と話をしていましたら、日本人のPR下手という話題になりました。彼は仕事柄、国際的な学会などに出席し大勢の人前で研究成果を発表したり、発表を聞いたりする機会が多いのですが、外国の研究者は検証不足の仮説を発表するときでも「皆さん、本日は大変ホットな発表をいたします」と前置きしてから本題に入るのだそうです。
一種のセンセーショナリズムをてこにして聴衆を話に引込むテクニックとも言えますが「PR上手」と言われれば確かにそうです。外国の人はこういう手管を使うのが上手だ、とのことでした。

ひるがえって日本人は、というか、私はこの手のPRはうまくないのかな、とも思いますが、最近は『ズバリ言うわよ』が決め台詞の占い師の例をひくまでもなく、我が同業のなかにもこの手の宣伝にたけた人たちが幅をきかせているようで・・・。

黄門様や大黒様がシンボルキャラクターの大手はんこフランチャイズ店の店頭やチラシには「技術に自信あり!」「品質に自信あり!」「デザインに自信あり!」「○○に自信あり!」というフレーズがオンパレード。まあ、たいそうな「自信」にはそれなりに根拠はあるのでしょう。少なくとも私どもにくらべて資本の大きさには自信を持たれてしかるべきですからね。もちろん、資本の大きさは我々事業を営むものにとって決定的ですから、資本力を駆使すれば不可能な事はないでしょう。
ただね、資本の大きさと「技術力」「品質」「デザイン」は必ずしも比例しないと思いますよ。「技術」も「デザイン」も機械設備やハードの問題ではなく、作り手=「人」の「感性」や「思想」、丁寧に手間ひまをかける「仕事に向き合う姿勢」の問題ですから。

こうしたフランチャイズ店は、大した自信のかげで、『印泥』を「いんどろ」と呼称するなど基本的な知識に疑問を抱かせる態度、印材の『アカネ(シャムつげ)』を『柘』といつわって表示する『並み品』の象牙を『高級』という言葉で総称する、など「PR」というには余りにもお粗末な『言い換え』等「それはないでしょう」と言いたくなる振舞いが目に付くのです。ひょっとして「どうせ消費者は素人だからわからないでしょう」とでもお考えなら、それはとんでもない考え違いだと申し上げなくてはなりません。

私どもは、多少なりとも商品に付いての知識や経験を消費者の皆様にくらべて持ち合わせているかも知れません。しかし我々ハンコ作りの仕事というものは、ハンコを畑の作物に例えるなら、「消費者の御意見」というお天道様に支えられて作物の世話をしてる御百姓さんみたいなものです。実際にハンコを使う消費者の皆様の様々な意見や感想に支えられて商品を育てさせて頂いている。私達の知識や経験はお客様のためにこそ発揮させるべきものであって、消費者の皆様に情報を隠ぺいしたり、誤った印象を持たせたり、間違った先入観を与えるための方便ではないはずです。断定調の「自信」のウラで消費者を裏切り続けているとハンコと言う商品はどんどんダメになって行くでしょう。

「値段が安いから」といって喜んでいるお客様でも、何年かたって、お客様のステージが上がってきた時「こんなハンコ持っていては恥ずかしい」と思わせてしまうようなモノを平気で渡せてしまうような考えの持ち主がいくら「○○に自信あり!!」と胸を張ってみても、いつか「看板に詐りあり!」と指摘されるのが関の山だ、と申しあげたい。

「赤福」の無期限営業停止のニュースに接し、先祖から引継いだハンコ屋の魂を再度噛み締める今日この頃です


2007/10/19

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バレンタインデー雑感

バレンタインデーが今年も近づいて参ります。まあ〜〜〜他人事です。

とあるブログサイトで管理者より「微妙な義理チョコ境界線。どこまであげる?どこからあげない」 というお題がブロガ−の皆さんへ出されていたのは昨年のこと。一年経つのが早いのなんの。私、義理チョコすら卒業いたして久しいございます。もう寄ってません。

30年くらい前のこと。まだ『義理チョコ』などという直截な言葉はなく、バレンタインが大人への通過儀礼的色彩を色濃くとどめていた時代と記憶しますが、クラスメートの女子何人かの発案で私ども不甲斐ない組含め男子全員に不二屋「ハートチョコ」(50円也)を恵んでいただいたことがございました。私はもとより初めてバレンタインのチョコを戴いた者も数多くいたと記憶しています。今にして思えば頭のよい女子の本命隠しのためのカモフラ−ジュにされたと言う見方も出来ますが、ここは素直にクラス皆、仲の良い楽しい学生時代であったとしておきましょう。当時はまだ今程バレンタインデーと言うのは大衆化路線でなかった気がしますが私達の世代がちょうど「義理チョコ」文化の先駆けであったのかも知れません。50円のハートチョコを仲良く恵まれ「義理かよ!」と不平を言いつつ喜んでいる無邪気さが頂く方にもありました。

いまやバレンタインは大人への通過儀礼どころか、こどもからお年寄りまで国民的祭事になってしまいました。「義理」だの「本命」だの議論していること自体、前世紀的発想なのでしょう。いやはや「チョコレート屋、うまいことやったな」であります。いまや、チョコレートにつづけとばかりに下着屋から本屋から、なんでもありですね。

我が身を振り返ればこの先もうバレンタインさんにあやかって頂き物にあずかることもないのでしょうね・・・。・・・。

「義理」といえば堅苦しく聞こえますが要は「遊び」なんですよね。「義理」でも「本命」でも楽しめてしまうチョコレートやパンツがうらやましい。パンツほど生々しくなくともハンコなんかも我々売り手としてはバレンタイン的切り口で売れないものかと思いますが、買い手にしてみれば「真剣」で堅苦しい感じがつきまとうのでしょうか?
実際はんこの登場する局面といえばシビアなことが多い気がしてしまう人は多いでしょうね。「お金や財産」とか「行政や法律」にまつわる行為のなかで「ハンコおねがいします」みたいな・・。ハンコで大失敗して無一文みたいな・・。責任取らされてああしんど・・みたいな。「遊びのハンコもあるぞ!!」と声をあげてみても「マイナー感」は如何ともしがたい・・・。
なんだ、なんだ!今日の閉息感は!!う〜む、あかん、あかん!!バレンタインデーくそくらえだっ!「みなさ〜ん、ハンコもバレンタインデーに買うてや〜!とれとれで新鮮やで〜!」とか吠えてみたい今日この頃です。

2006/1/30

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「朱・白」についての私見

最近改めて感じるのですが私達ハンコ屋が考えている以上にお客様はハンコの文字について思いを深く持っておられますね。お客様の中には「押せたらええネン」「安けりゃええネン」といって御来店のお客様も多いのですが、実際お話してみると「貫禄のある文字で」とか「カッコよく」とか「優しい感じで」というふうに、御自身のハンコに対して実に豊かなイメージをお持ちです。「枠に文字をつけて」とか「文字をクネクネさせて」なんて具体的に指示される方も多くおられます。
第三者に見られることを前提にしているのがハンコですから「自分の名前をカッコよく見せたい」「恥ずかしくないものを」という思いは誰にでも共通するものなのですね。

そこで私なりにハンコのカッコよさを計る「モノサシ」についての考えを。
多くの方がまず考えられるのは「書体」。私どももまず、書体の御希望をおたずねします。ただ、書体といっても書き手の風、上手下手が付いて回りますしどの書体にどんな美しさを見い出すかは「人生いろいろ」「好みもいろいろ」。正しい筆法である限りはどの書体も美しいのですが名人の筆でもハンコにしたらパッとしない、と言うこともママあるものです。それはなぜか?

ハンコの文字は枠がつきもの。「方寸の世界」ともいわれるようにハンコは丸、角など枠に切り取られた限られた世界の表現です。そこでもう一つハンコとしての美しさを計る物差が必要になります。

文字自体の持つ姿、形も多少関係しますが何よりも 、美しさの決め手となるのが「あき」です。外枠と文字の間をうめる「空白」の美しさですね。
「あき」の美しさは枠・文字の線質や太さ、文字の配置と書体(風)の選定等、ハンコの全体的なバランス、リズム、コントラストに大きく左右されます。 あき過ぎず、つまり過ぎず、印の形や文字の形の組み合わせで程よい「あき」を見つけること。
是非とも皆さん、そんな目でもう一度御自身のハンコを鑑賞してみて下さい。良いところや不満なところ何かしら見つかるはずです。

ハンコには陰と陽、すなわち朱の部分と白の部分しかありません。単純です。その単純な朱と白をどのように調和させ融合し「優しさ」「強さ」などお客様のイメージにピッタリとあい、満足のいく味わいをかもし出していくのか、そこにハンコづくりの経験と技、妙味があります。
とはいえ、ひとりひとり名前も要望も違うのが我々オーダーメイドハンコの宿命。なかなか得心の行くハンコはできません。まだまだ、己の力量の未熟さを知らされる毎日がつづきます。

単なるサイン代わりとしてのハンコではなく、そこに使い手の価値観やメッセージを表現する、セルフイメージを伝える道具としてハンコがもっと広く認知されるよう努力したいと思う、今日この頃です。


2004/7/10

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桂 枝雀さんのこと

「あの男は、雨のしょぼしょぼ降る晩に、窓を開けてニタニタと笑う癖がある」
書店でみつけた本の帯封の一節。本のタイトルは「笑わせて笑わせて桂枝雀」。今は亡き落語家、桂 枝雀さんの伝記でした。桂 枝雀さんは今も私の最も敬愛する芸人さんです。そのままレジを済ませ一気に読み終わり、勢いで、ひさしぶりに「落語DE枝雀」(落語作家小佐田定夫氏と桂 枝雀さんの対談と「鷺とり」「八五郎坊主」など枝雀さんの口演をおさめた本)まで本棚から引っぱりだし再読してしまいました。

枝雀さんといえば、 80年代、爆笑王の名をほしいままにした落語家。大袈裟で動きのはげしい所作、確かな話術で上方落語界の頂点を極めるとともに、有名な「緊張の緩和」理論や「さげ(オチ)の4分類」など自ら実践に基づく独自の「笑いの理論」を展開、私もその「笑い」の世界に引きずりこまれたひとりです。

2冊の 枝雀本を通じであらためて 桂枝雀 という芸人がサービス精神とプロ根性の塊、天才というよりも文字どおり努力の人であり、「命を笑いに捧げた」というのが比喩でない求道の人であったことに認識を深めました。同時に今さらながら「もうあの高座をナマで拝めることはないのだ」と思うと残念無念でなりません。

はじめて 枝雀さんの高座を観たのは私がまだ小学生の頃。親につれられ何かのイベント会場の寄席に出演していた桂小米時代の高座でした。2階の立ち見席から口演途中にちらっとのぞいただけで演題もおぼえていませんが、客が「聞き入っている」というある種、落語会としては特別な雰囲気は子どもごごろにも印象深くきざまれました。 小米時代の落語は「うまい」落語で「爆笑」といったものとは対極のものだったと聞きます。
それから何年たったか、高校生の頃、偶然テレビで「枝雀寄席」をみたときその驚き、おもろさ、枝雀さんの語る古典落語にすっかりはまり毎週「枝雀寄席」を心待ちにするようになりました。
成人してからは独演会、一門会などが京都でひらかれると聞きに行くようになり何年前だったか、長岡京記念文化会館での桂ざこば、枝雀二人会での「八五郎坊主」。これは笑った、泣いた、腹痛い、の世界で大満足。帰り道、ざこばさん運転の車とすれ違いざま、後ろ座席に枝雀さんの姿を発見。舞台とちがう静かな枝雀さんのたたずまいにひとり感激したものです。「胎教にいいから」といってお腹の大きい嫁さんに 枝雀さんの落語テープをきかせてたのもこの頃かな。
最後のナマ枝雀は南座での桂南光襲名披露の落語会。このときは笑福亭仁鶴、桂米朝、桂文枝、桂春団治、そして桂枝雀とそうそうたるメンバーの出演ですばらしい落語会でしたが、枝雀さんがどこか元気がなく少し気になっていました。
間もなく私自身も忙しくなり落語会からも久しく遠ざかっていた1999/3月、枝雀さんが自死を計られたニュースを耳にした時、自分でも不思議なくらい大きなショックを受けました。気付かない内に 枝雀さんの芸に惚れていたんでしょうね。

ところで、 枝雀さんが落語の修行に励み、若手落語家とともにしばしば勉強会に励んでいたのが大阪千日前の自安寺というお寺。このお寺で結婚式もあげられたそうですが、実はこの 自安寺さん、私のじい様のころから第一印房ひいきにしていただいたお客様で何年か前にも代替わりされて久しいにもにもかかわらず御縁をいただきよろこんでいた大切なお客様です。このホームページ「お客様の声」のページにタイトルに使わせて頂いている「千日前妙見宮」の印章もじい様の作品の1つで 自安寺さんの御依頼の仕事です。 おもわぬところで自分と枝雀さんがつながっていることに「えにし」の不思議さを思わずにはおれません。

改めて 枝雀さんのご冥福をお祈りすると共に、その芸でいつも癒し、励ましていただいたことに深く感謝したいと思います。「いつもいつもお世話になり、スビバセンネ〜 」 枝雀さん。あの世では「萬事機嫌よく」なさってくださいね。などと、思う、今日この頃です。


2004/7/10

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2004/4/1

今日は4月1日です。お天気もよし、街のあちこちには桜が満開です。真新しいスーツ姿の新社会人の方々の姿がまぶしく映ります。

今日ですべてが終わるさ

今日ですべてが変わる

今日ですべてが報われる

今日ですべてがはじまるさ

もう何十年も前に泉谷しげるが『春夏秋冬』で唄ってましたね。このサビのフレーズは今でも好きです。新年度の始まりとはちょっとズレるのかもしれませんが、まあ自分的にはそんな感じの1日でした。

午後から、あるお得意先に伺いました。ちょうど入社式後のオリエンテーションだったのでしょうか。会議室一杯に3〜40人いたでしょうか、スーツ姿の新人さんが並んで座ってるのがみえました。休憩時間だったのか、横の人と話したり、廊下に出て辺りを見渡しているひとがいたり、中にはイスに座ったまま居眠りをしてる人がいたり・・・。
トイレから女性が何人か会議室に戻っていくんですけど、トイレ後なのに妙に緊張した表情のままの人がいたりして「真面目なんか、生まれつきか、便秘なんかどっちや?」と思いましたが、本人に確かめるわけにもいかず、いまでもチョット気になってます。か、と思うと姿は新人さんなのに、雰囲気は「あんた何年ここに努めてンの?」って感じの場慣れしつつも妙に擦れた感じの「お局様 当選確実!」みたいな人もいたりして、結構、人間観察してるとおもしろかったです。あらためて人それぞれでんなあ〜。

とはいえ、新人さんの溌溂さと緊張感っていいですね。なんかこっちも元気を貰ったようで結構テンション上げて1日、仕事できました。有り難うございます。
なにはともあれ、新生活のはじまりです。みなさん、頑張って下さいね。これからも色々あるでしょうけど初心をわすれず、どないしようもなくなったら

「ケセラ・セラ〜なるようになる〜」

で行きましょうね。あっ、それと、ハンコ作る時は是非とも第一印房でお願いしまっせ!真面目な人には真面目なハンコを、擦れた人でも可憐なハンコを心を込めて御提供致します。

今年は花見に出かけるぞ!!と思う今日この頃です。


2004/4/1

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人形は顔が命

少し気がはやいのですが3年ぶりに雛人形をかざりました。場所がないので子供部屋にかざりましたが娘の居場所が無くなりました。まあ、勉強机だってロクに使ってないんだから、そんでよろしい。

このお雛様、私の母が子供の頃、買ってもらったもので、もうかれこれ70年以上はたつでしょうか。10年程前に母の実家が取り壊されることになり「もったいない」といって譲り受けてきたものです。7段飾りの立派なものなのですが、長く押し入れの奥にしまいこまれていたせいか衣装もヨレヨレ、汚れもめだちます。中には髪もザンバラ、落ち武者の生首みたくなっている方もおいでになるのですが緋毛氈の上にきれいにならべるとそれはそれでいいものです。こころなしか喜んでいるようにもみえます。

人形さんを納めた木箱には「田中弥」とあります。現在も営業を続けておられる立派な京人形の老舗です。どこかで「人形は顔が命」というキャッチコピーがありましたが人形達のひとりひとりのお顔を眺めていると、どれも個性的かつ端正に作られ命に満ちているのに改めて驚きます。今のお雛様にくらべると皆さん面長で、すこし大人っぽい感じ。主役のお内裏様とお雛様は可愛いと言うより知性的、それでいて口元などはつやっぽい。脇役の三人官女は楚々として出しゃばらず端正、五人囃子はそれぞれ楽器を手に演奏を楽しんでらっしゃる「囃子方五楽坊」といった風情。右大臣、左大臣は落ち着きと威厳をたたえ、三人上戸はそれぞれ「こんな人飲み会に必ずいてるで」というリアルさ。もう、泣き上戸さんなどはカラオケで「ヘッドライト・テールライト」歌いもって泣いてるオッサンそのままジャアあ〜りませんか。娘は何だかんだ理由をつけて夜一人では子供部屋には入りません。(こわがってまんにゃな)それぐらいある種リアルなんです。当時の職人さんの厳しい仕事ぶりが今なお、私達の心をうごかし、お雛様の前にすわるとしばし時間を忘れます。つい、声に出して話し掛けたくなります。京人形・京ものの良さを再確認することしきりです。

はんこだって顔が命、スタッフ一同、心引き締めこのお雛様に負けないようがんばらねば、お雛様の前で殊勝にも誓いをたてる今日この頃です。


2004/2/18

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小泉景氏の話

日本は「ものづくり」の国なんだそうです。確かに職人仕事に端を発する産業って多いですよね。ノーベル賞受賞で一躍有名になった島津製作所の田中耕一さんの受賞にまつわるエピソード(気の遠くなるような地味な実験をくり返し失敗から大発見がうまれた、という話)を聞くに付け「技術者」というより「職人」って感じを強くします。ハンコも職人ナシには考えられない商品でした。

先日、京印章職人のお一人である小泉 景さんとお話する機会がありました。御歳65歳まだまだ現役バリバリで京印章ぎゃらりいでもご紹介した河井章石さんや園田湖城さんに直接ご指導をうける機会もあった数少ない京印章職人さんのお一人です。京都府の伝統産業功労者表彰も受けられた立派な技術者です。

今は若い人に技術指導もされていて「今の若い人は1から10まで丁寧に教えんとあきまへんけど私らの若い時分は師匠ゆうてナンも教えてくれません。見てて盗めちゅうことどすなあ。でもたまに『この線や』とかいうてくれはります。そんな時、何がよかったんや一生懸命考えます。同じように彫れへんか何回も練習して体で技術を覚えました。」とおっしゃってました。「機械の文字(フォントのこと)で彫るとどうしても文字の線に『あたり』が出ません。線が死んでしまいますな。『あたり』のない字は模様みたいなモンでホンマは文字と違います」ともおっしゃいました。「あたり」というのは文字を書く時できる人の力の調子のことです。線の書き出しにクッと力が入る、一旦力が抜けて線の終わりにまた力をいれ筆をとめる。ハンコを彫るとき筆文字を書くように彫出す、それが唯一無二のハンコに通じるというわけです。

たたきあげの職人、小泉景さんのお話を伺っているとなんだかこちらまで背筋がシャンとのびてくる様です。小泉さんは一つ一つの作品を見せながらそこに込められた思いやお客様のエピソードを熱く話して下さいました。こんなにたくさんの思いを一つ一つの作品に持っておられるとは何と密度の濃い仕事と人生かと改めて感嘆しました。

職人の仕事は確かに効率は悪いと思います。商売とした時、時間はかかる金はかかるというイメージがどうしてもつきまといます。便利な機械の登場で作業環境は随分変化しハンコに限らず何でも簡単に作れるようになりました。ただ、その分お客に育てられた技術者がどこの世界からも少なくなりました。その分、作り手の人生がどんどん軽くなっている気がします。中年を迎えた今、改めて自分の人生・仕事を振り返り、また見渡してまだまだ満足してはいけないと思う今日この頃です。


2003/6/21

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「京もの」考

京都には様々な「京もの」と言われる商品群があります。有名なところでは京人形や京仏壇、京焼など。京印章もそんな「京もの」の1つです。でも、「そもそも「京もの」ってなんだ?どこで作ってもできるモンは一緒でしょ」といわれると正直、チョット考えてしまいます。

ハンコの場合、関東のはんこと書体の特長に違いが見られますが、これも傾向といったもので、お客様の好みや志向もあり一つの書体を以て「京印章」を定義してしまうのには無理があります。第一、そもそもハンコは自由な文字表現であるべきです。彫刻の道具も大昔は違いもあったように聞きますが今は日本全国、同じようなものです。作風などは作り手個人によるところ大きく産地によると言えるものでもありません。

では産地をあらわす「京」に「京都で作ったもの」以外に大層な意味はないのでしょうか?商売上の単なる方便なのか、といえばそうではありません。「京都で作った」こと自体に深い意味があるのです。

京都の町のお客様は昔からモノに「うるさい」人が多い。「ええもん」を見極める目が「肥えている」のです。その理由は「都の歴史」。京都という町は都がおかれた1000年の間に上流階級の生活文化や儀式が、いいにつけ悪いにつけ一般庶民にまで浸透してしまった。貧乏人でも話し言葉は雅なもの、使うものも雅なもの、精神は「貴族」みたいな人が年々増えた結果「ええもん」を見極める人が、うじゃうじゃ住まいする町になってしまいました。その人たちに物を売るためには「ええもん」が「当たり前」の商売が必要です。ハンコづくりも同じ。ただ、字を彫るのではなく「ええ文字」を最高の技術で飽きずに使ってもらえるようにハンコを彫ることが「当たり前」。

だから京都はお客も売り手も作り手もみんな「うるさい」。「うるさい」人にみんな自然になっちゃう。今風(?)にいえば「ええもん原理主義」ですね。だから京都では黙っていても「ええもん」ができた。京都で作ること自体の意味ってそういうことです。京都で作ると「当たり前」に「ええもん」が出来、「京もの」=「ええもん」になった。

日本全国どこにでも物の名人はいます。何でも名人の作はすばらしいものです。京都にも有名な名人もあまたいますが他府県にくらべ最も違うのは、無名の職人が名人級のええもんをつくり出すその層の厚さです。しかも普通の値段で。高くても「ちょっと」だけ。だって「京もの」といっても基本的には庶民の生活用品なんですから。

この「当たり前」にこそ「京もの」の神髄があると思います。京都の当たり前はグローバルスタンダードとはちょっと違うンです。ハマるとぬけられません。だから今も「京都」ファンは世界にいます。
「京もの」良き伝統を今だからこそ伝えたいと思う今日この頃です。


2003/6/21

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「はん」は何処へいった

イラク戦争ぼっ発以来、なんとなく心安らかで無い日が続いています。

私が、かねがね思っていることの1つに戦火をくぐり抜けてきた世代の人たちは、ずば抜けて「したたか」だ、という思いがあります。粘りづよさ、人と人との距離のとりかた、忍耐力・・・。いずれも商売にかかせない資質ですが、この世代の方々は総じて「したたか」に思えます。こうした「したたかさ」と戦争との因果関係について何となく「あるんだろう」とは感じてはいましたが実際のところ「戦争をしらない子供達」の私にとって理解はできませんでした。

戦争のあとバグダットの街を略奪して歩く市民の姿が焼き付いて離れません。状況が人を盗賊にかえる。人々は実に陽気に何のためらいもなく盗賊に成り果てることができるのだ、と言うことを御丁寧にも映像付きで教えられました。特にバクダットの博物館が市民の略奪であっと言う間にからっぽになった様子は文化遺産の多くを抱える京都市民として無念であると同時に自分の姿がダブって見えるようでとても嫌な気分になりました。

イラク、すなわちメソポタミアはハンコ発祥の地でもあります。円筒印章といって円筒形の石の側面に紋様や文字を彫り込み粘土板の上に転がして押印し、物品の所有者を明らかにするため用いられました。紙の無い時代でしたので粘土板が用いられましたが使用目的は現在のハンコとほぼ変り無かったのです。メソポタミアでもハンコは人々の信用と信頼、権利を示す大切な道具でした。何千年も昔から人にとって信用と信頼、権利はおかすことのできない大切なものでした。

博物館には数多くの円筒印章が展示、保管されていたと聞きます。これらのハンコたちは無事だったのでしょうか。それとも他の収蔵品同様、どこかへ持ち去られたのでしょうか?「はん」は何処へいったのでしょうか?心配で何もできない自分が歯がゆくもあります。

人類文明の発祥の地メソポタミアの貴重な品々と共に人間の尊厳までどこかに消えてしまいました。確かに多くの文化遺産は手っ取り早い、飯の種なんでしょう。テレビでどこかの評論家が「2〜3年もすれば消えた文化遺産の多くは大英博物館やボストン美術館に並びますよ」と言っていました。もしそうなら、この戦争を仕掛けた米英が盗賊団の「首領様」ということになります。そうならないことを切に願います。

日本の国からでは様々な虚実を交えた報道を通じてしかイラク戦争の真実は知ることは出来ません。が、多くの人々が敵、味方の別なくボロ雑巾のように殺されたことは、まぎれも無い事実です。そんな極限状況が市民達を「したたか」に盗賊団に変貌させたのでしょうか。戦火をくぐり抜けてきた世代の人たちは「したたかさ」の裏にどれだけの恐怖と苦しみを体験されたのでしょう。そんな恐怖や苦しみとひきかえにしか「したたかさ」は手にいれることができないものなのでしょうか。

今回はどうもまとまりません。
平和の国ニッポンに暮らしながら心安らかになれない今日この頃です。


2003/5/21

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「2ちゃんねる」で見たもの

知人の同業者に教えられ「2ちゃんねる」内の「はんこ屋さん21」なる掲示板サイトを見ました。(http://money.2ch.net/test/read.cgi/venture/1011435532/
なんでも知人氏は毎日この掲示板を見て発奮材料にしているとか。

「激安」を売り物に全国に展開している、はんこ屋フランチャイズチェーン(FC)「はんこ屋さん21」と同じ名前の掲示板サイトです。実際のはんこ屋FC店長の内情暴露・悩み相談やFC出店希望者の不安や質問、やじうまの冷やかしetc---興味深く拝読しました。匿名の掲示板ゆえの「ネタ」や「やらせ」もあるとは思いますが中には真実と思われる内容もあり「話半分」にしても勉強になりました。そのなかで感じた事をいくつか---。

この不況下FC店もなかなか大変なようで、退職金など大枚叩いて参入してきた方々の苦闘ぶりには同じ店を預るものとして身につまされる書き込みもいくつかあったのは確かです。ただ、「はんこやなんて霊感商法まがいのあやしげな商売」だとか「だましてナンボ」の商売だとかお考えの方もあり我々「まともなはんこや」を任ずるものとしてはこんな連中を商売敵にしていると思うと少々複雑な気分になったのも否めません。

また、みなさん商売のことゆえ「いくら儲かるか」についてそろばんを弾くのは当たり前だし、私達も「利益をいかにあげるか」については常々考えるところですが、その事に終始していて何か大切な事がすっぽり抜けている気がしてなりませんでした。

私達「はんこや」に限らず、いやしくも「業」として商売を営んでいる限り、その扱う商品やサービスが、いかにお客さま、ひいては社会に貢献できてるかを常に念頭に置き仕事に当たるのは私達商売人の義務ではないのか。世間様に貢献しているからこそ、その店にお客さまが訪れ買物をし、その結果「儲け」が私達にもたらされるのではないのか。
この人たちは自らの「儲け」に関心を払うのと同じように「はんこや」としてどう世の中の役に立とうとしているのか、書き込みを何度か読みなおしましたがさっぱり分かりませんでした。

いま、この商売も他業と同じく大変な厳しさの中にあります。目新しさのとぼしい業界でしたがFC店をはじめ通販、インターネット販売と様々なチャンネルに新規の同業者があらわれ競争も過激になってきました。大競争のなかでついつい自らの役割や位置が分からなくなってしまう昨今もう一度、原点にかえってじっくりこの仕事と向き合ってみたいと思う今日この頃です。


2003/2/1

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「さび」考

ある学校法人の得意先でのはなし。

「理事長印が目詰まりしてどうもうまく写らないので掃除してもらえませんか?」そんな電話をいただいた私は7つ道具(?)をそろえて早速伺いました。見せて頂いたのは24ミリ角の細字の理事長印。もちろん私どもが十数年前に調製させて頂いたものですが、印面を見るとナルホドひどい目詰まり状態、「これではきれいに押せませんよね」等といいながら掃除をしてみると現れた文字も磨耗がすすみ、あちこちに「くずれ」も見られます。「とりあえず掃除できましたけど見たところ大分、文字も痛んでますね。一度押してみましょうか」そういってメモ紙に押してみて「おお!!」私、思わず声を出してしまいました。クッキリと朱に浮かび上がったその印影はまさしく名人の手に依る落款印よろしく素晴らしく枯れた「さび」のきいた風合いだったのです。

私は仕事も忘れ無理をお願いして、その理事長印の新品当時の印影も見せて頂きました。見比べると、どの線がどのように摩滅、欠損していったのかよくわかります。そこで、1つのことに気がつきました。普通、実用印の摩滅は外枠の部分から始る事にお気付きの方も多いと思います。押印の際どうしても外枠部分に力がかかるからです。ところがこの印は枠と同時に文字の部分も磨耗、欠損が進んでいるのです。もともと、細字の印だったので僅かな磨耗でも印影に反影されやすいとは言えますがそれにしても文字の崩れ方がほんとに「さび」ているのです。不思議に思い「どんなところに押されているのですか」と尋ねると「おもに理事会提出用の資料冊子の割印に使っています」とのこと。それで合点がいきました。冊子の割印すなわち段差の有る部分に押印を続けていたため印を押し沈める力が文字の部分にも十分にかかって文字部分に特有の「さび」が自然に出来上がったという訳だったのです。
今回の印影をここでご紹介できないのは本当に残念です。結局、実用印としては余りに文字の欠損が進んでいると言う事で新しく理事長印を調製する事になったのですが「この印は学校の大切な歴史を見届けた印ですからいつまでも大切に保存して下さいね。理事長さんが色紙など書かれる時に押印されてもいいかも知れませんね」と、お願いしてきました。

落款印や遊印を作る時「さび」をつけると言って文字や外枠にギザギザと刀をいれます。それによって実用印にない面白みや深みが出る訳ですが今回の一件で「さび」の神髄は「古色」すなわち人の手により使われ磨耗、欠損しそれでもなお必要とされる素朴さや暖かみに有るのだと再認識しました。人の意志とは別のところで形づくられ、それでも人から愛される「さび」。

この、古色をどのように再現していくのか、そして次はどんな印に出会えるのか・・・ハンコ屋稼業も悪く無いなと思う今日この頃です。


2002/7/17

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こだわりを捨て信念をもって

私ども「はんこ」屋に限らず職人仕事に携わる商売のキャッチフレーズに「・・・にこだわって」という台詞をよく見かけます。私の感触では、あのバブル絶頂期、グルメブームあたりから「食材にこだわる・・云々」と言ったいいまわしが増えてきたように思います。私自身も日常の会話の中ではよくそんな言い回しを使ってしまうのですが、このホームページに関しては極力「こだわり」という言葉を使わないように心掛けています。その理由は「こだわり」という言葉が本来の意味では「小事に拘泥していつまでも気にかける」ことで「小事にこだわり大局を見失う」というように消極的な意味で使われる言葉だからです。物づくりの上で守るべき事柄やお客様と信頼を築く上で発揮すべき業者の良心などをあらわすのに「こだわり」という「小事」を意味する言葉でかたずけてはまずいんじゃないの、と言うのが私の思いなんです。

私どもが商いを行う上でお客様の利益を守る事が商売繁盛の大道である事は「雪印」事件のてん末をみればどなたにも御理解いただけると思います。「会社の利益」にこだわった結果の会社解散、これこそ「小事にこだわり大局を見失う」の典型じゃないですか。

私どもが「手彫りのはんこ」とやかましく言うのも「天然素材」とうるさく言うのもどれもがお客様の利益に直結する事柄だからです。しかも、「はんこ」は文字、書体表現、材料どれをとってもバラエテイに富み、それなりの経験と知識がなければ本物を見抜くのは困難です。お客様に替わって目利きするのも私どもの大切な仕事でしょう。そんな大切な事柄を「こだわり」という言葉で括ってしまっては「文字」「名前」「言葉」そのものを商いにする私どもには相応しくないと考えました。

私どもは「こだわり」をすて、「信念」をもって知識と技能の精進に励み、豊かで多様性に満ちた文字表現とお客様の個性を受け止める柔軟さを育て、お客様の利益に奉仕できるよう向上していきたい、そんな事を目むいて、鼻むいて考えている今日この頃です。


2002/5/25

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あわれ!漢字の国、中国

「はんこ」のふるさとは他の「はんこ屋」さんのホームページでも触れられているように古代のメソポタミア文明です。当時の「はんこ」は「封泥」に使われていました。紙がなかったので粘土や泥に文字や紋章をおして所有者などをあらわしたわけです。現在のように紙に押印する「はんこ」のはじまりは中国。中国では封泥の印章が伝わり独自の発展をとげ、紙の発明と共にほぼ、現代と同じ用途で使用されるようになりました。世界の他の地域で「はんこ」がすたれたのとは別に、中国で「はんこ」が大いに発展したのは「漢字」と「はんこ」の相性の良さも大いに関係していると思います。漢字の「はんこ」ってなんか重みがあるけど楔形文字ではなんだかねえ・・・。さしづめ「漢字の国、中国」にして「ハンコの父、中国」が誕生したと、いえましょうか。

先日お得意先の専務さんに呼ばれました。「ちょっとこれ見てくれる」といって専務さんが取り出したのが2センチ角ぐらいの石材の「はんこ」。「中国へ行った土産にホテルで買ったんだけど気に入らなくてねえ。」見るとこれがまた「ひどい!」「へた」「無惨」「こんなモン気に入るやつの顔がみたい!!」どうも、切れやんだタガネで印面を文字の形になぞっただけで、おおよそ「彫刻」とは言えない代物でした。「値段は安かったんだけど。」安かろうが、なんだろうが、よくゾこれで金をとれるモンだ。「これ、彫り直してもらえない」「はいはい喜んで」といってお金の話しをすると専務さん「中国ってなんでも安いねンな」としみじみしてはりました。

実はこんな話、最近多いんです。
私達はつい中国といえば漢字の国と思いがちです。「はんこ」だって元は中国から日本に伝わった道具です。歴史教科書に必ずでてくる「金印」は誰でも聞いたことがある中国製の立派な「はんこ」です。中国へ行けばホテルでも土産物屋でも必ずと言っていいほど「はんこ屋」さんがいて目の前で彫っています。値段も日本に比べ格段に安い。インターネットの激安ハンコ屋も歯が立たないほど安い。旅の土産や記念にちょっと目先の変わったものを、と考えている「はんこ」に馴染み深い日本人はつい買ってしまうようです。中国の土産物屋もその辺の観光客心理をうまくついてきます。中国がいくら「漢字の国」でも「ハンコの父」でも土産物屋は専門家でも職人でもありません。ただ、いくら「みやげもの」だからといって技術はまずい、文字は下手くそでは余りにも誠意に欠けると思うのですが・・・。

中国には「はんこ」の素晴らしい歴史があります。高名な作家も多く輩出しています。そんな先人が築いた業績を食い散らかしている「中国土産」の「はんこ」。そう言えば中国では「簡略字」が日常使われています。もとは漢字ですが今は簡略されすぎて日本人の方が漢字にくわしいという話を聞いたこともあります。あんな酷い「はんこ」が売られる背景には中国自体が漢字そのものになじみが薄い社会に変容しているという事情があるのでしょうか?それとも「はんこ」と簡略字の相性は造形的に良くないため作り手のセンスが磨かれないのか?いずれにしても広い中国の中にマトモなハンコ屋さんがいないはずはないと思うのですが日程に追われる観光客に捜し出せというのは酷でしょう。もう、かの国には「漢字の国」の誇りさえないのか。「あわれ!漢字の国、中国」「さらば!ハンコの父、中国」
日本もこんなことにならなければ良いけれどと思う、今日この頃です。


2002/4/8

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ムネオとスタンプ

いま、永田町をゆるがせている「ムネオ疑惑」。外務省の内部告発といわれる一枚の紙切れに端を発する鈴木宗男議員をめぐる一連の疑惑ですが、つねに「告発文」や「怪文書」が飛び交う永田町でなぜこれほど「ムネオ疑惑」が議員生命にかかわるほど大きくなったのか。政治的な背景はさておき、そこには一つのスタンプがかかわっていることにハンコ屋としては注目せざるをえません。外務省の内部文書とされる一連の文書には「秘/無期限」という内容のスタンプが押されていたことから、がぜんこの文書の真実味が増したからです。

私どもの店頭商品には「マル秘」のスタンプがかならずありますが「秘/無期限」という内容のスタンプは別注品です。しかも雑誌等の写真で見る限りどうもこのスタンプ、「書き版下」(職人の手書きの文字をそのまま成型したスタンプ)のように見えます。つまり、スタンプの作成者の特定が可能な代物なのです。最近のスタンプの多くは既製のフォントから成型することが多いので同一のスタンプを作ろうと思えば日本全国どこでも可能です。しかし、「書き版下」のスタンプとなればそうはいきません。文字そのものが特定の職人の手書き文字であるため、ゴム印といえども唯一性をもつのです。外務省が国会での追及のなかで一連の文書を公の物であると認めたのもこのスタンプの存在が大きかったのではないか、と思えます。一部の報道ではこのスタンプ、以前問題になった外務省官房機密費疑惑の際、暴露された文書にも押印されていたとか。これが本当なら疑惑再燃ということにもつながりかねません。

いずれにせよ、「たかがスタンプ、されど、スタンプ」です。もし、これらの文書の「秘/無期限」の文字がパソコンのフォントそのままだったら内部告発も「怪文書」のうわさで終わっていたかもしれません。
デジタル時代の到来で「はんこ」や「スタンプ」がアナログの代表選手のようにいわれ風向きのわるい昨今ですが、1つのスタンプが1人の議員の政治家生命に危機をもたらし政界全体をゆるがす力をもっていることを再認識している今日この頃です。

最後にオヤジのひとこと「アナログを、あ・な・ど・る、なかれ!」


2002/4/6

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「千と千尋の神隠し」雑感

暗い話題の多い昨今、アニメ映画「千と千尋の神隠し」がベルリン映画祭で堂々の金熊賞に輝いたニュースが明るい話題を振りまいています。私も遅ればせながら2/11に娘をつれて「千と千尋」を鑑賞しました。映画の中身や映像技術については多く評論家の方々に任せるとして感じたことをいくつか。

昨夏、この映画が公開された時、1年生でとても臆病者の娘がテレビコマーシャルを見て曰く「こわい!!」。両手で顔を覆い、どうも、コマーシャル中の「カオナシ」だとか、異形の神々を見て怯えている様子。『小学生にもなってマンガが「こわい」とは楳図かずおじゃあるまいに』と、親としては情けないやら歯がゆいやら、まして夏休み。どうやって子供を9月まで持たせるかは親として頭の痛いところ。ネタが1つ潰れて途方にくれたものです。仕方なくポケモン見に行ったっけ。
それが、年もあけ二月の連休『遠出しても金掛かるしなあ』と娘に何げに「『千と千尋の神隠し』見に行こか」と振ってみたら「うん」。『これは、気が変わる前に』と急いで連れ出したのが事の発端。
さて、映画館に入りお決まりのポップコーンとジュースを膝の上にのせ着席、間もなく映画は始りました。思いのほか空いていて『そりゃそうだ、もう旬はとうに過ぎてるしなあ、それにしてもいつ娘が帰りたいと言いだすことやら・・。』などと考えているうち不覚にも大人の方が見入ってしまった。気がつくと映画もおわり横の娘は少々長めの上映にくたびれた様子を見せながらも御機嫌!『あれ、恐かったンじゃないの?カオナシだの、オクサレサマだの、釜じい、だの画面一杯飛び回ってたよ?』映画そっちのけで、わが娘の成長ぶりに思わず涙のただの親ばかになってしまった。

それにしても、いみじくも宮崎監督が金熊賞受賞のコメントで「日本的なものが評価された」とのべたようにこの映画は設定といいキャラクターといい日本的というかアジア的ですね。神々の風呂屋というところが映画評にはしばしば取り上げられてるようですが私としては画面一杯に「はんこ」がド−ンとでてくるのが気に入ってます。魔女の契約印と言う設定なんだけど、どうも、高山石(こうざんせき・・・石印材で白、紅、黄など色の変化がたのしい石)系統の落款印みたい。古色ゆかいしい造形で蛙の鈕(ちゅう・・・印材の上についている飾り彫刻、獅子や龍、12支など様々なものがある)なんかついてるところが芸がこまかいし監督さんの文化的な深い思いを感じます。しかも、物語全体が「名前」を巡るエピソードを軸に、このハンコを巡って新展開を見せていくのですからハンコやさんとしてはこんな嬉しいことはありません。

2200万人が観賞したという「千と千尋の神隠し」でハンコを日本文化を象徴するアイテムの1つとしてその役割ごと取り上げて頂いた宮崎監督とスタジオジプリのみなさんにあらためて感謝、そして娘のささやかな成長に気付かせてくれた「千と千尋」に感謝、さらに日本の文化を世界1級のものと認めて頂いたベルリン映画祭関係者にも感謝感謝の今日この頃です。

2002/2/19

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