このページは新旧の作家、職人による京印章作品を皆様に鑑賞していただくページです。簡単な解説もして行きたいと思いますので今後のハンコ選びや今お持ちのハンコを改めて見直して頂く参考になさってくだい

  

第1回  中野慶之輔 なかの けいのすけ(1888〜1970)

ぎゃらりいの1ページ目は私のじいさまです。手前味噌で恐縮ですが「第一印房」の屋号を名乗ったのが私のじいさまでした。私どもの店はそれまでは中野観月堂と名乗っていたそうです。ハンコやとしては私で六代目になりますが「第一印房」としては三代目ということになります。

じい様にはちょっとした思い出が有ります。私はじい様に小学校に上がる前頃かわいがられていたそうです。明治生まれのじい様はそれはそれは頑固で家のものにとっては恐い人だったようですが、私だけは例外だったようです。わたしの遊び場はじい様の仕事部屋でじい様がはんこを彫りはじめるとじっとその手許を覗き込んでいたそうです。じい様にしてみれば仕事のじゃまだったと思いますが結構喜んでいたようで大人同志の会話では「こいつは手先が器用になる」と嬉しそうにしていたとききます。そんなですからわたしはじい様に叱られた記憶が余りありません。ただ1回だけ今でも鮮明に叱られたことを覚えています。
いつものように私はじい様の部屋で遊んでいました。じい様はその日なにやらたくさんの紙切れを難しい顔でながめては振り分け整理をしている様子でした。何かの拍子に私は湯のみに入っていたお茶をこぼしてしまいました。あやうくじい様が手にしていた紙切れが濡れてしまうところでした。そのときじい様のおこったこと、怒ったこと。余りの勢いに私は泣き出してしまいました。泣いている私にかまわず、じい様は今、自分が整理しているのは自分の作品の印影であること、それは技術の継承の為に必要な資料となること、その資料が私のこぼしたお茶で台無しになるところだったことなどを懇々と説教しました。そんなことがあって一年後にはじい様はボケてしまい、私のことが名前はおろか、孫である事さえ解らなくなってしまい、その半年後には他界してしまいました。じい様83歳、大阪万博で日本中が浮かれる暑い暑い夏でした。

時はうつり21世紀、じい様が次の世代の為にと残した印影をこんな形で私が皆様にご紹介できるのも何かの導きなのかも知れません。長々と書き連ねましたが初回のことゆえお許し下さい。ただ、1本のハンコにも手作りの作品には、その作者の思いや人生が込められていることを御理解頂きたくおもいます。それでは第一回京印章ぎゃらりいゆっくり御鑑賞ください。


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